2006/2/13 Monday

太陽ぎらい / 小泉 喜美子

Filed under: 小説,  小泉喜美子, ふしぎ文学館 — taipeimonochrome @ 21:04

手練手管の樣式美。

去年購入してずっと寢かせてしまっていた本作、ようやっと讀み終えましたよ。というのも、前回、前々回と、何というか些か樣式美からかけ離れたようなある意味トンデモな作品を續けて二册も讀んでしまった為、頭を正常に戻すに作者の作品は最適だろうと思った次第で。

本作は、昨年終わり頃から立て續けにリリースされているふしぎ文学館の一册で、ジャケ帯には「幻想ミステリ」とのウリ文句が掲げられています。「海外小説と日本の伝統文芸のエッセンスの配合から生まれた、小泉喜美子の幻想ミステリ傑作選」とあって、SF風味をきかせた騙しのテクニックが素晴らしい「觀光客たち」、女の殘酷な内面が恐ろしい「殺さずにはいられない」、莫迦莫迦しくも洒脱な「太陽きらい」「ヒーロー・曉に死す」、恐怖譚としても一級品の「雛人形草子」など、いずれも味わい深い短編が勢揃い、ふしぎ文学館ではいつものこと乍ら滿足度の非常に高い作品集に仕上がっています。

冒頭の「子供の情景」は日本に仕事で滞在している金持ちのフランス人親子とこの家族に使える日本人運転手を、子供の視点から描いた物語。この主人公の子供がひねくれまくっていてかなりアレなんですが、大人の世界を覗いた子供が無自覚に悪魔的な一面を見せる結末がいい。何となくこの作品、山岸涼子や高橋葉介が好んで書きそうなモチーフですよねえ。

續く「觀光客たち」は流石「弁護側の証人」の作者だと唸ってしまう一篇。觀光ガイドのぼくの語りで物語は進みます。彼が觀光案内をすることになった白人夫婦はどうやら同行してきた娘の結婚に反対しているらしく、その娘は親の目を離したすきにホテルから失踪してしまいます。娘を見つけたぼくが彼女から話を聞くと、親は自分が黒人の彼氏と結婚するのをひどく嫌っているという。そこでぼくは一計を案じるのだが、という話。讀者の中にある意識と偏見をさりげなく使いながらミスディレクションを仕掛ける作者の手練には見事にやられてしまいましたよ。

「遠い星から来たスパイ」も前の「觀光客」と同樣のジャンルの作品で、アレ系というにはやさしすぎるものの、最後にミステリ的な反転を見せる手法は同じ。とある惑星から密命を受けて地球人の女と結婚する為にやってきた宇宙人のお話で、妻となった女が部屋に運んできた極祕裏の万能機械を見つけるにつけ、彼はその機械の情報を入手しようとするのだが……。

「殺さずにはいられない」は作中でも「死の接吻」などに言及されている通り、何となく洋モノの倒叙小説を髣髴とさせる作風です。令嬢と婚約を決めた男が主人公で、彼は付き合っていた女を妊娠させてしまう。令嬢との結婚のため、つきまとう元カノを殺そうとするのだが、……という話で、後半この立場が見事に逆転、ハッピーエンドで終わる筈もなく、因果應報と女の殘酷な内面をさらりと描きつつ終わる結末がいい。

「髪――(かみ)――」はある種、恐怖小説的な雰囲気もあるものの、これもまたサスペンス小説な構成で描かれた一篇です。フランス文学者とその門下生の娘の話で、男は彼女の髮が好きで堪らないという。ある日、男は彼女をとある場所に連れて行き、ある人物に合わせるのですが、それがここ最近世間を賑わわせている髮切り魔と結びついて、……という話。ただ何となく予定調和的な終わり方をする為に物足りない氣がする、というのは贅澤でしょうかねえ。

予定調和といえば「抹殺ゲーム」も同樣で、街をブラついていたサラリーマンの男が妙チキリンな男からゲームを賣りつけられます。家に帰るとゲームに夢中になっている妻と子供にプレゼントするものの「おもしろくない」「ツマんない」と二人にダメ出しされてしまったから仕方がない。彼は自分に部屋にこもってそのゲームに取りかかるのですが、そこに隱されていたトンデモない秘密を見つけて……。最後のオチはもうこれしかないでしょう、というほどこちらが期待している通りに終わってしまうのが不満といえば不満でしょうかねえ。これを樣式美と見るか、予定調和的な凡庸さと見るかで評價が分かれるような氣がしますよ。

「奇形」は恐怖譚といってもいい一篇で、毛皮ブローカーがとある場所で見つけてきた、美しい體毛を持った動物の話。主人公のデザイナーはブローカーからその話を聞くに及び、二人でその動物を見る為に飼い主の女の家を訪れるのだが、そこで、……。

續く「太陽ぎらい」と「ヒーロー・暁に死す」の二編はユーモアのきいた短篇で、作者にこんな風格があったというのはかなり意外でしたよ。完成度は「ヒーロー」の方が上ですけど、表題作の「太陽ぎらい」の莫迦莫迦しさも捨てがたいですよ。

ドラキュラと知り合いになった男は、妻が旅行に行って留守の間にドラキュラを自分の家に招待しようとします。そのためには十字架や大蒜の類は綺麗さっぱり片づけて、……というのは當然として、「太陽」という名前のついている本やら何やらすべてを一掃しようとするから呆れます。そうしてドラキュラを歡待するに成功したのですが、突然妻が帰ってきて、……。

莫迦莫迦しさという点では、續く「ヒーロー・暁に死す」は表題作を上回る出来榮えで、三流映画ばかり撮っているダメ男を伯父に持つ娘が語り手。この伯父は一流の怪奇映画、それも吸血鬼をモチーフにした映画を撮影すると決意、トランシルヴァニアの古城を舞台に、ドラキュラ役の俳優なども引き連れての海外ロケを敢行、しかしそのロケを行う古城には本物のドラキュラ伯爵が住んでいて、……という話。このドラキュラ役の俳優が最惡の大根役者で、癇癪を起こした監督との會話が妙に笑える。

「なんだ、それは!」
伯父が、メガホンを振りまわしてどなりつけた。
「それでもドラキュラ伯爵か!まるで学生芝居の下男頭じゃないか!」
「——」
「第一、気品というものがまったくない!ドラキュラにふさわしい憂愁の美というものがまったくない!」
「あのう、ドラキュラってのはこうもりの親玉でしょう?」
「何を?」
「そんなものに気品が必要なんですか?」
「まったくなんちゅうことを!なんちゅうことを吐かすんだ!」
伯父は殘り少ない髮の毛をかきむしり、メガホンで男優をひっぱたいた。


このあと退場した男と入れ違いに、撮影現場に入ってきたドラキュラ男爵を見つけた監督は、……ってこのあとはもう予想通りの展開ですよ。

長くなってしまったので後は簡單に。「秋のベット」は山荘に迷い込んできた少年と、そこの女主人の話で、物語の背景を隱したまま最後にミステリ的な仕掛けで転倒を見せる構成はアレ系に近いものがありますねえ。憂愁のきいた結末がいい。

「本格的にミステリー」は自虐ネタすれすれのお話で、作者がモデルなんじゃないかという變わり者の作家が自殺をしたらしいのだが、死體は一向に見つからない、果たして彼女は本當に自殺したのか、というあたりを正統なミステリらしく展開させながら、最後に変格っぽい謎を殘して終わる物語。

最後の「雛人形草子」は雛人形をモチーフに据えた恐怖譚で、怪異はいっさい登場しないものの、靜かな狂氣があとからじわりときいてくる一篇です。雛人形を取材にと訪れた家で、語り手は人形を見せてもらおうとするのですが、内裏さまが見つからない。暴走族の息子の惡戲だと母親はいうのですが、実はその家には娘がいて、……という話。これも何となく山岸涼子が描きそうなお話ですねえ。女性らしい、というか。

こうして作者の短篇をひととり讀んでみると、とにかく短篇としてのすっきりとした構成が際だっています。アレ系の仕掛けを施しても、それが樣式の中に畫然とおさまっているところが素晴らしい。それがこの作品集全体に洗練された風格を與えているように思います。この小説としてのうまさは時として予定調和の方向に転んでしまうこともあるとはいえ、「觀光客たち」のように見事にキマった時には素晴らしい驚きがあるし、期待通りの結末とはいえ、「ヒーロー・暁に死す」や「殺さずにはいられない」の見事な構成にはやはり注目してしまいます。

ふしぎ文学館のシリーズというとマニア向けのキワモノばかりという印象がありますが、本作に限っては普通の人も愉しめるセレクトに纏まっています。「うまい」小説を所望の御仁におすすめしたい一品でしょう。

2005/8/14 Sunday

弁護側の証人 / 小泉 喜美子

Filed under: 小説,  小泉喜美子 — taipeimonochrome @ 4:48

先日取り上げた戸川昌子の「猟人日記」は出版芸術社のミステリ名作館の一作でしたが、このシリーズはミステリ好きだったら無視できない作品も多く、例えばつい最近レビューした泡坂妻夫の「死者の輪舞」もこのシリーズの一作でした。

しかしインパクトという點では本作が一番ではないでしょうか。
何しろ本作はアレ系の古典的傑作として語り繼がれている作品でありまして、それ故既にこの仕掛けを知っている人も多いとは思います。

綾辻行人のアレや貫井徳郎のアレとか、或いは我孫子武丸のアレなどなど、新本格にはアレ系の傑作がたくさんある譯ですが、それ以前にも日本のミステリにはこういう作品があったんだということに驚いていただく為にも、今日は本作を取り上げてみようかと。

で、ジャケ裏に物語のあらすじが書いてあるんですけど、これはちょっとフェアじゃないです。というかこの描き方はマズいんじゃないかな、と思うんですけど、まあ、一応載っけておきますとこんなかんじ。

八島財閥の放蕩息子・杉彦に見初められ玉の輿に乗った売れっ子ストリッパー、ミミイ・ローイこと漣子は、悪意と欲望が澱む上流階級の伏魔殿で孤軍奮闘していいた。そんな折、八島家当主・龍之介が殺される。だが、まさか犯人が愛する夫の杉彦だったとは!死刑の判決を覆すべく、必至の調査を続ける漣子と仲間たち。新たに弁護側の証人は、果たして見つかるのか?
驚異のトリックでミステリ史上に残る不朽の名作、ついに登場!……


序章から始まるこの物語は本編の十一章の最後に終章を添えた、全部で十三章からなる構成となっています。
章題が第一章から「花婿」、「味方とわたし」、「よそ者」、「《黒牛》とわたし」というようになっていて、偶數数の「……とわたし」で示される章は「わたし」による一人稱で事件後の現在が語られています。

一方の奇數数では、八島財閥の放蕩息子、杉彦と結婚した売れっ子ストリッパー、ミミイ・ローイだった「わたし」を「彼女」という三人稱で表し、二人の出會いから結婚、そして事件が発生するまでの経緯が語られていくのですが、この構成は改めて讀み返してみても本當によく出來ていると思います。

序章の面會室で對面した杉彦と「わたし」の會話を一讀しただけでは物語の全體像は見えてきません。
「まだ控訴がある。上告だってある」と強い口調でいう「わたし」に、「死刑が宣告され、弁護士たちもさじを投げてしまったんだ」と「わたし」をたしなめるような口調で話す杉彦。ここで杉彦の父、すなわち舅が殺されたことが明かされ、二人は再び控訴を行い、眞犯人を突き止めようと考えていることが分かります。

この杉彦という輩がまあ、あらすじにもある通り、かなりのダメダメな放蕩息子で、父親に結婚を反對されたとなるや頭にきて、皆の前で「ぼくはおやじを殺してやる」などと宣言したりと、とにかく穩やかではありません。

その一方で、「わたし」も杉彦と結婚する前に、すでに誰かの子供を身ごもっていてそれを彼に隱していたりするので、まあ、どっちもどっちというかんじなのですが、これに加えて杉彦の姉たち、そして八島家の主治醫などなど、それぞれに利害を持った人物達がこの屋敷には巣くっていて、皆に八島龍之介を殺す動機があるように見えるところはいかにも古典的なミステリを踏襲しています。

物語は偶數数で、眞犯人は誰なのか、そして裁判を覆すための証人捜しが進められ、裁判に臨むシーンをクライマックスに控えています。一方の奇數数は結婚式で、二人が祝福される場面から始まり、事件が起こった夜から被告人の逮捕に向けて、ほぼ時系列に話が進んでいくのですが、この過去と現在のシーンの對比がとにかく秀逸。

第九章の最後で容疑者が捕まり、再び「わたし」の章である「愚問とわたし」に至ったとき、ようく讀んでいたひとはここで、「ええっ?」とのけぞってしまうでしょう。

ここでもまだピン、とこない人は、意外な人物を弁護側の証人へと据えて、いよいよ裁判へと挑む第十一章の「証人」で頭がグルグルしてしまうに違いありません。

因みに自分が初讀したときには、十章で何ともいえない違和感を抱えたまま、譯が分からず「証人」の章を讀み初めてひっくり返ってしったクチです。鈍いですねえ。

本作が素晴らしいのは、この仕掛けが第十一章で現れたあとも、眞犯人は依然として分からないまま、弁護側の推理を交えた法廷で明らかにされていくという展開でしょう。
とにかくこの後半の法廷の場面で、おのおのの証言の矛盾を突き詰めていきながら、眞犯人を論理的に追い込んでいくところがいい。

そして終章は再び序章と同じ場面へと立ち戻っていくのですが、この構成も見事。とにかくアレ系の大きな仕掛けを織り交ぜつつも、緊迫感のある法廷での場面や、殺された被害者の本心が最後に明らかにされるところなど、展開と構成の妙が光る傑作でしょう。

アレ系の古典的名作といい乍ら、この仕掛けは現代でも十分に通用するものだと思います。ストリッパーがヒロインというあたりが、戸川昌子の諸作と同樣、時代を感じさせる設定がない譯でもないのですけど、このヒロインやストリッパー仲間の人物造型などの清々しい雰圍氣が物語全体にある種の輕さを与えています。

このあたりが、同じように「レベッカ」を作中でほのめかしながらも、哀しい幕切れが何ともやるせなかった泡坂妻夫の「花嫁のさけび」と違うところ。あちらもかなり際どいアレ「系統」の仕掛けを用いた傑作でしたが、本作と讀み比べてみるのも一興かと。

繰り返しになりますが、綾辻行人のアレや貫井徳郎のアレ、或いは我孫子武丸のアレみたいな名作が讀みたいという人にはマストでしょう。特に新本格でアレ系のミステリに魅了されたミステリ好きにおすすめしたい古典的傑作です。

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