2009/11/19 Thursday

矩形の密室 / 矢口 敦子

Filed under: 小説,  早見江堂 — taipeimonochrome @ 13:45

20091119.jpgおそらく本格読みは無言でスルーしているであろう、矢口敦子こと早見女史……って逆か(爆)。矢口女史の本格作品。そこここに中井英夫ラブの腐女子臭を感じさせるフレーバーがクズミス独特の脱力感を醸し出しているところがマニア的には好感度大で、もちろんフツーの評価をすればかなりアレな一冊ながら、そうした斜めに構えた評価軸で読み終われば、例の三部作同様にグフグフと愉しめてしまうという逸品です。

あらすじからして脱力もので、寝たきりの美少年が背伸びした哲学的幻想小説をものしてネット公募の賞に応募するも選考委員のみならずド素人も完全スルー。そんなイケてない作品がしかし不審人物の不可解な脅迫によって俄然注目を浴びるようになって、……というところから、その脅迫者の犯人捜しがメインの謎になっていくのかと思いきや、まア、そのあたりは確かにあることはあるとはいえ、物語はどちらかというと選考委員センセイの隠微な男女関係などもコッテリと織り交ぜて、どうにも捻れた方向へと進んでいきます。

ところどころにDNAだ地球だ人類だと、そもそもそんなに話を大きくしなければいいのに、と読者のこちらが心配してしまうほどに大仰な装飾を中途半端に凝らしてあるところなど、「ダメミスとはどのようなものか」ということを知り尽くした女王、早見女史ならではの筆致が素晴らしい。本作ではさらに「パソコン通信」という、当時であれば最先端のナウいテクノロジーを事件の中心に据えているところも、今読むとミョーなかんじの懐かしテイストを感じさせます。

そもそもメッセージひとつ送るのが「アップロード」という言葉で語られるという、ツイッターだクラウドだと喧しい今に読むと、ほのぼのというか何というか、思えば遠くに来たもんだ、とひとりごちてしまうようなところがまた何ともいえない雰囲気を醸し出しています。

実際のコロシはというと、脅迫者がいるんだから物語も中盤くらいでさすがに事件が發生しないと、サスペンスを期待している読者はブーたれてしまうことは必定かと推察されるものの、本作ではネット通信の時代ならではの鷹揚さで、コロシは最後も最後、みんなでパーティーをやっている最中に発生し、それもやや駆け足で謎解きがされるという破格の構成でありまして、こうした破格さをどう受け止めるかで評価が分かれるような気がします。

パソコン通信といった当時は最先端のテクノロジーを活かした事件の組み方といったところを離れて、本格ミステリ的な視点から本作の事件の構図を見ていくと、そうしたクズミス風味とは裏腹に、なかなか凝っているところがかなり意外で、このあたりもまたただのクズミスでは終わらせないという女王のプライドが感じられるところは流石です。物理トリックそのものとその狙いは、さすが中井英夫ラブというか「虚無への供物」ラブで脱力の三部作を仕上げた女王ならではの仕掛けで決めてくれます。

ただ、個人的には上にも述べた通り、本作の趣向は登場人物のおのおのが抱いている主観を交錯させ、一枚の構図を現出させたその見せ方にあると感じられ、背後に隠微な操りを凝らした趣向は、「虚無への供物」というよりは「失楽」に近い、といえるかもしれません。実際、DNAだ人類だ地球だコギト・エルゴ・スムだと妙なところに科学哲学のフレーバーをきかせてあるところが本作の個性でもあるのですけれども、こうした衒学趣味をもっと過激に凝らして物語を引き延ばしていたら「失楽」みたいな作品にもなりえたカモしれないカモしれない、……という潜在能力が感じられます。

本文もこうしたクズミスの傑作として至高の逸品といえるものながら、小説以上にハジけているのが村上貴史氏の解説でありまして、

……そこに早見名義の作品を重ね合わせると、より刺激が強まる。『虚無への供物』に倣ったであろう人工的な命名、作中作や作中劇を通じた”世界”の再認識など、本書と共通する要素が早見江堂名義の三部作には備わっている。いずれが先でも構わないが、この『矩形の密室』と三部作を読み比べてみるとよかろう(なお、早見江堂三部作は纏めて読むのがよい。バラバラに間隔をおいて読むと持ち味が薄れてしまうので)。
 そう、本書は矢口敦子のファンであればあるほど、特色を深く体感できる一冊なのだ。


と、この引用だけを見ても、村上氏のレビュワーとしての異能ぶりが感じられるわけですが、例えば例のダメミスの至宝「本格ミステリ館焼失」「青薔薇荘殺人事件」「人外境の殺人」の三部作に関しては、「まとめて読まなきゃダメだよっ」というふうにシッカリとこの本の正しい読み方についても言及しているのはもちろん、「本書は矢口敦子のファンであればあるほど……」というかんじで、「頼むから『償い』を読んだにわかファンのみなさんも本書を買って頂戴」とアピールしているところなど、……どちらかというと、矢口ファンよりは寧ろ自分のような早見ファンの方が解説も含めて愉しめてしまうのではないでしょうか。

人工的な命名や世界の再認識といった、科学哲学衒学を凝らした部分は、やはり『虚無』というよりは『不確定性原理殺人事件』の雰囲気に限りなく近く、また、常時接続でPCからケータイから「昼ご飯なう」なんてツイートしながらクラウド万歳という今だからこそ、パソコン通信でマメに回線をオフラインしながらバッチ処理、というような本作の時代背景を懐かし風味を交えて愉しめるわけで、そうしたレトロ感と、破格の構成や現代本格的な構図の見せ方とのミスマッチもまた独特の味を出しています。あくまでマニア限定、それもクズミスダメミスの、という限定にはなりますが、マニアだからこそ入手も容易な今、本棚に加えておくべき一冊といえるでしょう。

2009/11/18 Wednesday

嘘神 / 三田村 志郎

Filed under: 小説 — taipeimonochrome @ 10:31

20091118.jpg何というか、ホラーというよりはもう、「こういうジャンルのお話」と割り切って読んだ方が愉しめると思います。こういう話というのは要するに、「CUBE」系というか「SAW」系というか、とにかく知らないうちに閉鎖空間に閉じこめられた人間が智力の限りを尽くして脱出を試みる、――というもので、実際、そうした展開を本作はそのままトレースした作品でありまして、こういうヤツはもうウンザリというような方は最初からくじけてしまうことは間違いなし。

で、こうした本作の風格にたいして荒俣御大曰く、

ゲーム小説に挑戦する人は、たいして知的になりすぎて失敗するが、この作品は、ゲーム参加者の野蛮なほど単純な意思と情のぶつかりあいを描くことで、まどろっこしい知をぶちこわした。


何だか「知的な」部分を愉しんでいる本格讀みを挑発するかのような御大のお言葉ではありますが、実際、本作で閉じこめられてしまう連中はガキんちょどもで、ゲームだ智力だといってもそこに限界があることはもう必定、そうしたリアリティを考慮してか、本作では敢えて知的な部分はバッサリと排除して「野蛮なほど単純な意思と情のぶつかりあい」を描くためにガキどもを登場人物に配したという戦略は大いにアリ。

というわけで、「知的」な部分に注力した読み、――例えば「カイジ」の限定ジャンケンみたいなものを期待すると完全に脱力となってしまうわけで、このあたりは取り扱い注意ながら、拳銃を持ち出してきた中盤あたりからの展開ではEカードとはいかないまでも、相手の裏の裏を取ろうとする心の読みと罠を凝らしてガキんちょたちが奮闘する様も添えて、御大いうところの「野蛮なほど単純な意思と情のぶつかりあい」が描かれていきます、……というかんじなので、カイジに絡めて喩えるとすれば、本作の風格は限定ジャンケンでもEカードでもなく、鉄骨渡りが一番近いような。

本作ではタイトルにもある「嘘神」というのが一体何者で、その目的は何なのか、というあたりも当然フツーの読者として気になってしまうところなのですが、こうしたゲームを志向した物語においては、そもそもそうした設定部分にも謎を凝らしてあるのかどうか、というあたりが微妙なところでもありまして、こうした物語が三度のメシより好きというような読者であれば、「設定とかな何とかそンなくだらねーことどうでもいいジャン。くははっ。ジャカスカ人が死ねばそれでいいんだよ」というふうに考えているやもしれないし、かといって自分のような、どちらかというとこうした物語にはやはり「知的」な部分を期待してしまい、その背後の設定にまで作者の奸計を求めてしまう本格讀みとしては、当然そうした「設定」部分がどうしても気になってしまうのですが、……結論からいいますと、本格讀みがワクワクしてしまうような設定部分とそこに凝らしたどんでん返し的な真相開示は「ある程度」期待しても没問題。

個人的には御大いわれるところの「野蛮なほど単純な意思と情のぶつかりあい」に関しては、登場人物たちがガキんちょということもあって、何というかそうした描写も定型によりかかったやや一本調子なものに感じられ、読んでいる間は結構、苦行だったのですが、最後の最後で見事に痛快な真相を明かしてジ・エンドとした作者の稚気には大いに惹かれます。というか、この最後の真相を明らかにするだけのために、登場人物にこうした趣向を凝らしていたのか、とニヤニヤさせるあたりは本作の大きな魅力でしょう。

というわけで、荒俣御大もいわれている通り、「知的」な部分を大期待して讀み進めてしまうと大火傷をするので、寧ろ本作は「頭でゴチャゴチャくだらねーこと考えているような本格読みのクソどもは黙ってろっての。――くははっ。ゲームでなおかつ知的なものがお望みなら千澤タンの『マーダーゲーム』でも読んでろってんだ」というような読者に向けられた一作ゆえ、本格讀みやホラーマニアよりは、「閉鎖空間で人がジャカスカ死んでいくような」小説が大好きというような方にのみオススメしておきたいと思います。

2009/11/13 Friday

武家屋敷の殺人 / 小島 正樹

Filed under: 小説,  小島正樹 — taipeimonochrome @ 8:14

20091113.jpg傑作。講談社のサイトに曰く「詰め込みすぎ!」「最後のどんでん返しまで、目が離せないジェットコースター新感覚ミステリー」。確かにこれでもかッというくらいに謎解きによって開陳される構図がひっくり返るという結構は完全に「詰め込みすぎ」。しかし本作の場合、そうした著しくバランスを欠いた過剰さがすべて良い方向に転んでいるという逸品で、大いに堪能しました。

前作の「十三回忌」も幻想的な謎の大博覧会といった趣で、矢継ぎ早に繰り出される御大直系のトンデモ万華鏡の背後に大胆な騙しの仕掛けが隠されているという逸品でありましたが、本作でもノッケから木乃伊が出るわ消えるわ、壁は揺れるや卒塔婆は燃えるわ雹は降るわと、一つ二つのコロシに添えられた幻想的な謎だけでもう完全にお腹イッパイ。

物語は、捨て子の過去を持つ娘っ子から、自分の生家を見つけてほしいという依頼を受けた探偵コンビが、奇妙な手記に書かれた事柄をもとにその屋敷を探し当てるや、またまた常軌を逸した不可能犯罪が発生して、――という話。

前半の家捜しからして作者の気合いは完全にレブリミットで、「十三回忌」を彷彿とさせる寿行ネタをはじめ、犯人の奸計から切り離したところで怪異の正体を推理してみせるスタイルは御大直系、というか下手をするとそのやり過ぎぶりから御大を超えちゃったんじゃないノ、と感じてしまうほどの素晴らしさ。

結局この手記に書かれた怪異だってすべてはキ印男の妄想だろ、といったんは一蹴しておいて、探偵の精緻な検証作業からすべては事実であったことが明らかにされるという定番の見せ方も期待通り。正直この家探しの謎解きだけでも長編一冊は余裕で組めるというネタなのに、それを前半、――まだ三分の一にもさしかかっていないのに早々にその真相を開陳してみせるという「詰め込み過ぎ」の結構に痺れます。

家を探し当てたあと、手記に書かれていた通りのブツを発見して、ここからどういう展開になるのかと思っていると、見つけたブツが消失するや、超絶アリバイに絡めた不可能犯罪をも呈示して、過去と現在を往還しながら解かれるべき謎が雪だるま式に膨らんでいくというやりすぎぶり。

本作の優れているところは、こうしたネタの大量投入だけで読者を惹きつけるのみならず、謎解きの課程で様々などんでん返しを見せつけながら、それが多重解決のインフレ状態に陥いることなく、非常に洗練された着地点を構築しているところでしょう。

中盤からは江戸時代から続く呪いやら因縁も絡めて、この家族の隠微な関係が明らかにされていくのですけれど、その構図を過去と現在の犯罪に重ねたときに浮かび上がってくる策謀を動力源として、複雑怪奇に織り込まれた複数人物の思考とその奸計を解き明かしていく推理は、まさに現代本格の典型ともいえる盛り上げ方で魅せてくれます。

ここまで推理のプロセスでどんでん返しを見せつけるとなると、フツーは多重解決ものの弱点のように、探偵陣だけは勝手に盛り上がってるけど物語の外にいる読者は興醒め、という事態にも陥りかねないのですが、本作では盤石に見える推理の中に「解かれていない謎」を残しておくことで、その推理を反転させるための理由付けをしっかりと持たせてあります。

また、この「解かれていない謎」は、「詰め込みすぎ」ともいえる謎の大盤振る舞いという本作の趣向の理由付けをも兼ねており、そうした謎も、怪異を前面に押し出した派手なものと、ささやかな「気付き」として伏線へと転化させる要素を持たせたものとを冒頭の手記からバランスよく配分させているところもいい。

つまり本作の「詰め込みすぎ」という風格には、作者の「戦略」がシッカリとかいま見えるところも含めて、「ジェットコースター新感覚ミステリー」なんてキワモノっぽい惹句が添えられていながらも、非常に考え抜かれた結構となっているところが秀逸です。

盤石に見えた探偵の推理が、もうひとりの探偵の「解かれていない謎」の呈示によって、まったく違った構図へと転化されるというどんでん返しだけでも十分に素晴らしいのですけれど、個人的にこの見せ方で惹かれたのが、この推理をひっくり返した結果として策謀を巡らせていた人物の隠されていた心の内が次々と解き明かされていくという趣向でありまして、推理の帰結として開陳される構図には必ず奸計の主体の内心と、それに操られる――特にある人物の発狂に到るまでの悲哀溢れる課程を描き出す効果をあげているところもいうことなし。

あともうひとつ「詰め込みすぎ」という点について言及すると、本作ではもう残りページもほとんどないという謎解きシーンの盛り上がりどころで、またまたドーンと木乃伊がイキナリ出現するという謎が呈示されるというフウに、推理の見せ場にもまだ謎をブチ込んでみせるという大盤振る舞いでありまして、謎解きの場面も平板では終わらせないよッという小島氏の、暑苦しいばかりの意気込みにはもうタジタジ。

謎解きどんでん返しのフルコースに頭が完全にオーバーヒートしているところでメデタシメデタシかと思っていると、最後の最後でそれがまたまたひっくり返されるのですけど、この「探偵」がトリをつとめるという配役と真相の着地点は、ジェットコースター並のせわしなさとは見事な対比を見せた静的なもので、これがまた美しい。

というわけで、柄刀ミステリの「幻想」的謎と三津田ミステリの刀城シリーズに見られる「過剰」さに惹かれる人などには強くオススメしたい逸品です。ただ、その一方で、柄刀ミステリが内包する詩美性や三津田ミステリに見られる怪奇と論理の融合といった趣向はナッシングという風格ゆえ、二人のミステリ作品の読者に大推薦、といいつつもあくまで取り扱い注意、ということで。

2009/11/11 Wednesday

レクイエム 私立探偵・桐山真紀子 / 千澤 のり子 二階堂 黎人

Filed under: 小説 — taipeimonochrome @ 13:18

20091111.jpg柔ちゃん探偵シリーズ第二弾。第一弾となる「ルームシェア」は堅実なトリックと、キメラの片割れである千澤女史のライフワークともいえる「アレ系」を封印した着想で盤石な仕掛けを凝らした佳作でありましたが、本作ではそうした仕掛けの部分よりも、逆説を凝らした狂気の構図や、併置された二つの謎をいかにして連関させるかといった結構に趣向の見られる一冊に仕上がっています。

物語はまたまたヒョンなことから、とあるバス爆破事件の真相を調べることになった柔ちゃんが事件に巻き込まれて、――という話。本作では、ヒロインが調査を進めていくバス爆破事件のほか、都市伝説めいた小学生の幽霊とそれにまつわる連続殺人事件の謎とが平行して描かれていきます。

とはいえ、後者の幽霊のほうについては、とあるボーイが姉にあてた手紙で一方的に語りを進めていくという構成で、バス爆破事件の扱いに比較すると、あくまでこちらは添え物といったかんじながら、本格讀みとしてはやはりこの二つの事件が最後にはどう繋がっていくのか、というところをイヤでも期待してしまいます。

このあたりの仕掛けについては、最後に明らかにされる真相から鑑みれば二つの謎の連関はやや緩めといえば緩めながら、個人的にはこの手紙の中で再三再四語られながらも、物語の展開の中では決して「語られることのない」ある人物の扱い方に惹かれました。

登場人物の相関という点では、バス爆破事件の当事者ではないものの、こちらのパートにもしっかり都市伝説モノの連続殺人事件の被害者が登場します。しかし本作の場合、こうした人物の連関そのものというよりは、爆破事件の狂気ともいえる逆説によって二つの事件が奇妙な繋がりを見せるという見せ方が面白い。

正直、バス爆破事件の犯人の動機はブッ飛びすぎていて、常人にはマッタク理解出来ないというハジけたものながら、案外、この狂気は現代社会のリアルにも通底するものが感じられ、前作以上に社会派の視点からハードボイルドの風格を際立たせた本作の雰囲気には合致しているようにも感じられます。

ヒロインは調査の課程でこの真犯人と急接近するのですが、犯人はとあるトリックを用いてマンマとその窮地を脱してみせるというシーンがあるものの、この状況を最後の最後まで気取らせないというつくりと、事件の被害者の相関から絞り込んでいったのではマッタク真犯人に辿り着けないという展開が重なっている結構もいい。

今回は、シオンにも通じる痛キャラである姪っ子の登場が少ないゆえ、前作のようなハジけたシーンは少なく、全編、ダークなトーンで覆われているところは、前作の風格を予想していた自分としてはかなり意外、でありました。

ただ、千澤女史も述べているとおり、本作では「愛する者を失った悲しみ」という主題があり、フツーの本格であれば冗長に流れてしまうであろうヒロインの聞き込み部分も不思議とイヤにならないのは、調査の目的と手法が、事件の手掛かりを追いかけているというよりは、当事者の慟哭に耳を傾けるというベクトルを向いているからでありまして、このあたりも本作のハードボイルド的風格をより際立たせている所以かな、と感じた次第。

姪っ子の話が出たので、もうひとつ言及しておくと、前作では「キィエエエエイイイィィィ!」「チックショウオオオォォォォォッ!」「グャオオオオィィィイイイイイ!」とニヤニヤ笑いがとまらないシーンが後半にシッカリと用意してあったのですけれど、今回は重いテーマとのギャップを考慮してか、そうした見せ場はナシ。

それと前作では「全体的な風貌は、野球選手と結婚した有名な女性柔道選手に似ていなくもない」と、遠回しどころかハッキリ「見た目は柔ちゃんだよー」と述べていた部分についても、本作ではあまりヒロインの外観について詳述した描写はありません。

とはいえ、女性らしいリアリズムはチャンと添えられていて、

疲れの他にも、彼女の気持ちをくじくものがあった。予想外の重い生理痛だ。下腹部がズキズキ痛む。できれば、一日中、家で寝ていたかった。


というようなディテールに千澤女史ならではの風格が感じられます。

前作に比べれば非常に地味に感じられるものの、トリックよりも逆説的な動機や事件の構図を際立たせた風格は、逆に社会派ハードボイルドの外観を持たせた本作の雰囲気とマッチしているような気がします。というわけで、前作と同様、本作もなかなかに愉しめました。次作では柔ちゃんと馬田の二人の関係がもう少し前進することと、姪っ子の再登場と大活躍を期待したいと思います。

2009/11/9 Monday

赤の女王の名の下に THANATOS / 汀 こるもの

Filed under: 小説,  汀こるもの — taipeimonochrome @ 8:56

20091109.jpg二作目以降は早見女史と並ぶクズミス、ダメミスの本丸と散々煽りたててきた大明神でありますが、前作「リッターあたりの致死率は」でガッツリと持ち直し、さて本作はというと、……結論からいえば、前半はクズミス臭をプンプンさせながらも終わってみればフツーによく出来た佳作、という一冊でありました。

物語は、ヒョンなことから財閥一族の館に赴いた警視正とアイツが殺人事件に巻き込まれて、という話。密室っぽいやつも出てくるし、一応続けて人も死ぬしと、あらすじだけを簡単に纏めてしまうと何だかコード型本格を精確にトレースした風格かと勘違いしてしまうものの、そこは大明神でありますから処女作と同様、一癖も二癖もあるクダラないタベリが延々と垂れ流されるという結構でありまして、魚から一昔前のサブカルネタからニュートンネタまで改行も行わずに台詞の中にギッシリミッチリとダベリを盛り込んだ展開は、やはり大明神の熱狂的信者でなければかなり辛いというのが正直なところ。

前作ではそうしたダベリが最後に明らかにされる構図の隠蔽に繋がっていたし、処女作にもそうした仕掛けはあったものの、本作ではまあ、確かに最後の最後に双子ネタではお馴染みのアレ、――というか、もういいかげん大明神もこのネタはマンネリだから止めた方がいいんじゃないノ、というアレを添えてそれなりの趣向は凝らしてあるとはいえ、前作ほどの堅実さが感じられないところはマイナスポイントといえばマイナスポイント。

しかし考えるに、大明神の信者であればミステリよりもお魚ネタ、本格よりはダベリを愉しむために読んでいる筈で、そうした読者の嗜好を考えればミステリとしての趣向は著しく後退させて、ダラダラと垂れ流される脱力のモノローグで頁数を稼ぐという本作の戦略は大いにアリ。

……などと書いていると、何だかいつものクズミスっぽいところばかりが感じられて、やはり新作はダメミスに戻ったノ、なんて思われかねないので、慌てて本作の、本格ミステリとしての魅力について語りますと、コード型本格では定番中の定番である一族のコロシ、という定石にひねりをくわえた構図がまず素晴らしい。

また魚ネタから「探偵」は密室が破られる前から真相を見抜いていたことが最後に明らかにされるところなど、本シリーズならではの探偵像を引き立てるための趣向も盤石なら、件の双子に振り回されてばかりの警視正の過去に重ねて、本作の犯人像と構図が開陳される謎解きのシーンも痛快で、真犯人のそのものは定番といえば定番ともいえる見せ方ながら、その周囲に鏤められた様々な違和が、このシリーズならではのコード型本格の扱い方によって完全に隠されているという企みも秀逸です。

「この事件に犯人はいない」と謎解きの段階で呟かれる通りに、この構図と痛過ぎる真犯人に対置された真の犠牲者への軽い扱いは、数年前に物議を醸しまくったあの作品を彷彿とさせるところも面白い。

上にも述べた通り、今回は件の双子の活躍はやや後景に退かせて、警視正の受難を描き出したという風格ながら、活躍はせずともダベリはいつもの三割り増しというアンバランスな結構をどう見るかで評価が分かれるような気がします。大明神の作品の場合、このダベリが仕掛けに繋がっているパターンと、単なる大明神の自己満足に過ぎないケースとがあったりするので、フツーの本格讀みとしてはマッタク油断がならない譯ですが、本作においては、まア、前作と違って軽く讀み流してもそれほど実害はありません。

このあたりは大明神の熱狂的信者で、大明神様のブログの真言を朝の目覚めとともに諳んじないと一日が始まらないッ、とか、俺も大明神様にみたいにお魚マニアからは尊敬され、キモい本格マニアからは冷笑される腐女子になりたいとばかりに普段の生活でも一人称は必ず「俺」にして周囲からはドン引きされているのに気がつかないゴーイングマイウェイのキモ女とかであれば、本作もなかなかに愉しめるのではないでしょうか。

とはいえ、シリーズならではの寒い風格をコード型本格に移植した企みと、その結果生じたコロシの扱いにおける違和など、現代本格としての読みどころもシッカリ押さえた佳作ゆえ、前作は結構愉しめたよ、という現代本格讀みであれば手に取ってみる価値はある一冊だと思います。

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